孤独


とても印象深かったので記載します。
孤独な愛のために傷ついているという主人公汐見に、先輩の春日が言うセリフです。


卵の殻で自分を包んでいるようなひ弱な孤独じゃ、君、何ひとつ出来やしないぜ。(中略)僕はね、真の孤独というものは、もう何によっても傷つけられることのないぎりぎりのもの、どんな苦しい愛にでも耐えられるものだと思うね。それは魂の力強い、積極的な状態だと思う。それは、例えば祈っている人間の状態だ。祈りは神の前にあっては葦のように弱い人間の姿だが、人間どうしの間では、これ以上何一つ奪われることのないぎりぎりの靭(ツヨ)さを示しているんだ。孤独とはそういうものじゃないだろうかね。

――そんなに靭いものですかね、僕なんかしょっちゅう傷ついてばかりいるけど。

それは愛し合う人間の間では、二人の愛が不均衡でその間に調和がなければ、当然痛手も受けようじゃないか。(中略)しかしそういう場合に、愛することの靭さと孤独の靭さとは正比例しないのさ。相手をより強く愛している方が、かえって自分の愛に満足できないで相手から傷つけられてしまうことが多いのだ。しかしそれでも、たとえ傷ついても、常に相手より靭く愛する立場に立つべきなのだ。人から愛されるということは、生ぬるい日向水に涵(ヒタ)っているようなもので、そこには何の孤独もないのだ。靭く人を愛することは自分の孤独を賭けることだ。たとえ傷つく懼(オソレ)があっても、それが本当の生きかたじゃないだろうか。孤独はそういうふうにして鍛えられ成長して行くのじゃないだろうかね。(102-103項)

孤独であることは、惨めで悲しい。その苦しみは程度の差こそあれ多くの人(もしくはすべての人)が経験することだと思うのですが、春日さんのセリフはその苦しみに大きな意味と価値を与えてくれます。孤独から逃れようとする人の心に、真っ向から光をあてて道を作ってくれます。孤独を賭ける、とは、賭けた孤独のある人にしか書けないセリフではないかという気がします。





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