『現代日本政治史』大井赤亥

安保法制で何をもめていたのか未だによくわかっていない、くらいの政治知識量の人が読んだ感想文です。


本書の目的のひとつは、現代日本における「政治の対立軸を明確にすること」とあって、過去の日本政治がどういう対立をしてきたかを時代を追って順々に紐解いているので、なるほど、あれがこうなったからそれがああなったのね、が積み重なって行って「なんで今、こうなっているのか」が、よくわかります。


1990年までは保守(自民党)vs革新(社会党)の、強くはっきりとした対立軸が存在していたのが、1990年以降に革新の側が一方的に衰退してしまった。そして、それに代わる新たな対立軸も生まれなかったため、すべての政党が「保守」の範疇に収まって現在まで離合集散を繰り返している、というのがわたしの理解できたおおざっぱな流れです。


なるほどそうなのかぁ、ふむふむと納得しながら、はて。ところで、どうして政治の対立軸を明確にすることが必要なのだ?

対立は避けられないのだとして、もっと言えば、権力の抑止力としての対抗勢力は必要なのだとして、だからと言って、何と何がどう対立しているかの、その軸を、わざわざ研究して明確にする必要なんてある?


という疑問とともに読み進めました。


そして本書を読み終えた今、おぼろげながら自分なりに出した答えは、対立軸を明確にすることは、世論の形成に大きな役割を果たすのではないか、ということです。


わたしが本書から特に強く受け止めたのは、普段の生活の中では政治や政治家に対して不満や批判の声しか聞かないけれど、でも、これまでも政治は「世論の求めに応じてきた」のであって、その逆ではない。政治は国民のことをまるで考えていないという捉え方は、わたしの「印象」に過ぎないのだと。


政治は、世論が求めれば応じる。応じざるを得ない。


そして、その世論が形成される過程において、対抗勢力が「何と、どう対立しているのか」が明確であることは重要だろうと思えたのです。


著者の意図とは違うかもしれないけれど。


で、本書を読み終えた読者なら、本題とするべき問いは、さて、わたしは政治に何を求めるのか、ということだろうと思うのですが、その答えは見つからずにひとり混迷をきわめております。何を求めるかなぁ。難しい。いちばんは真面目にやってくれ、ということなんだけど。


過去の自分の考えを顧みるとともに、今の自分の位置を探る機会にもなりました。



ところで。

本書に大日本帝国の植民地支配について、安倍晋三が「子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という談話を発表したことが紹介されているのだけど、自分が謝罪して終わらせるという意志表明ではなくて、「謝罪の必要などありません」と言ってるだけなの、なんて恥ずかしい大人なんだろ。この人が総理大臣だったの、つくづく情けない。