『アリア系銀河鉄道』〜三月宇佐見のお茶の会〜 柄刀一


イデアマン。という単語はあまり自分の口に馴染まないけれど、この作品を読んだら真っ先にそう思いました。生み出される謎のおもしろさよりも、その謎が生み出される状況や現象が楽しい。不可解な空間で起こる謎は、空間自体がすでに謎をはらんでいるから、読み手の想像力も、より拡大させてくれます。


作者に対する前情報として、文章がすごく下手だと聞いていたのだけれど、わたしはそれほど気になりませんでした。読んだ作品のどこか抜けた雰囲気が、それを許してくれたようです。


文章の巧拙よりも気になったのは、物語の収まり方でした。突如、謎の空間に連れてこられて、その謎の空間がさらなる謎を呼び、その謎がまた次の謎を・・・という過程は楽しいのです。ところがいざ宇佐見博士の謎解きが始まると、せっかく盛り上がっていたテンションがだんだんとしぼんでいくのです。たとえばある数学の問題からひとつの解を導き出すとき、常にその解法はひとつではないと思うのだけど、この物語ではなんとなく、下手なほうの解き方を見せられている感じがするのです。魅力的な解(アイデア)に解法が追いついていないという印象。


でもそのことは結局、文章が上手ではないことに起因しているのかもしれません。