『ぼくのメジャースプーン』辻村深月

「Aという条件をクリアできなければ、Bという結果が起こる」


これが「ぼく」の持っている力です。この言葉を囁くことで、「ぼく」は相手とゲームを始めることができます。相手がAをクリアすればBは回避されるけれど、Aをクリアできなければ必ずBという結果が起こる。
「ぼく」が最初にこの力を使ったのは小学2年生のとき、幼馴染のふみちゃんに対してでした。まだ「ぼく」は自分に「能力」があることを知りませんでした。ピアノの発表会当日に逃げ出してしまったふみちゃんに対して、ぼくはどうしてもがんばってピアノを弾いてほしくて、こう言ったのです。

「戻って、みんなの前できちんとピアノを弾こう。そうじゃないと、この先一生、いつまでも思い出して嫌な思いをするよ」


ふみちゃんは嫌な思いをしたくなくて、がんばってピアノを弾きました。そのとき「ぼく」は、母親から教えられる形で自分の能力を知りました。


それから二年後、陰惨な事件がふみちゃんと「ぼく」の身にふりかかります。ふみちゃんは心にひどい傷を負い、「ぼく」は犯人に対して行動を起こすことを決意します。「ぼく」の「能力」を使って。


Aという条件をクリアできなければ、Bという罰を受ける。


この物語は小学4年生の「ぼく」が、同じ能力を持ち、かつ、その能力を人生で幾度となく使ってきた「先生」と様々な会話を交わしながら、「A」(条件)と「B」(罰)を考える物語です。それは同時に、わたしには「ぼく」がぼく自身の正義を探す物語のようにも読めました。犯人が犯した罪の重さ、ふみちゃんを襲っている悲しみ、そのことに対する正当な罰、「ぼく」が犯人に望むこと、「ぼく」が本当にしたいこと。


そうして「ぼく」が見つけた「A」と「B」については、物語の中にしまっておくとして、ここにはわたしが考えた「A」と「B」について書いておこうと思います。


「先生」はこう言っていました。「僕があなたの立場なら、犯人には何もしません。力も使いません」と。理由は、犯人に何かしてもふみちゃんがそれで元に戻るわけではないし、犯人に何もしなくても、ふみちゃんはいつか必ず元に戻るからです、と。
一方でこうも言っています。「僕自身の立場なら、犯人に対して力を使うことに、何の抵抗も感じない」と。その「先生」が出した解答は「今から十年後、あなた(犯人)が死んでいなければ、あなた(犯人)はその時一番大事に思える存在を必ず自分自身の手で壊す」です。


もしわたしが「ぼく」の立場だったらと考えたとき、わたしも「先生」と同じように犯人には何もしない、という答えを読書の途中で出していました。もちろん力も使いません。でも理由は「先生」とは少し違います。まずわたしはこの犯人と一切関わりたくありません。「A」と「B」を考えることは、犯人のことをよく知ろうとすることでもあります。この犯人にとって苦痛なことは何だろうか。この犯人にとって大事なことはなんだろうか。失って困るものはなんだろうか。そういうことを考えることでもあります。わたしはそんなことを考えたくない。一切関わりたくないのです。たとえば「先生」が考えたように「今から十年後、あなたが死んでいなければ、あなたはその時一番大事に思える存在を必ず自分自身の手で壊す」というのは、なかなかよくできた罰だと思えますが、でもわたしは言いたくありません。なぜならわたしは、「わたしの言葉によって」犯人が行動を起こすのが、嫌なのです。わたしはこの犯人と、一切、関わりたくないのです。わたしは犯人に対して反省も求めないし、謝罪も求めません。わたしの過去にも未来にも、この犯人は存在しないというのが、わたしの願うことだからです。存在しないもののために頭も体力も使いたくありません。そんなエネルギーがあるなら、それはすべてふみちゃんに向かって使いたい。わたしが「ぼく」ならそう考えます。


そして「先生」と同じように、「ぼく」の立場ではなく、わたし自身の立場だったらというのも考えてみました。事件の当事者ではなく、ある程度傍観できる第三者だった場合。陰惨な犯行を行った加害者に対して、わたしはこの「力」を使うだろうか、と。自分が当事者だった場合よりもその意志は弱いと思うけれど、やっぱりわたしは使わないという結論です。「先生」は「ぼく」に対してこのように言っています。「『力』を使うことは全力で相手の人生に飛び込むことでも、責任を負うことでもない。『力』を使ってしまった時点で、それはできない。自分がしたことがどんな結果を生もうと、それはすべて犯人が招いた結果であり、悪いのはあなたではない。犯人を見守る必要はないし、犯人の人生とあなたの人生は無関係である。だから犯人に対して責任を感じる必要はない。そう「割り切る」ことができないのなら、この『力』を使うべきではない」と。


そう。わたしはたぶん「割り切る」ことができない。だから使わない、という結論です。


でももし、この犯人に対して「力」を使わなければならないとしたら。「ぼく」(当事者)の立場で、あるいはわたし自身(第三者)の立場で。その後ずっと責任を感じることになってでも使いたい「力」があるとしたら。犯人と関わることを覚悟したなら。その場合のわたしの解答はこうです。「今後もう二度と、あなたはすべての生き物に危害を加えてはいけない。もし危害を与えたら、あなたはその日から3日以内に必ず自分の首を自分で切断する


「ぼく」が出した解答には、わたしはどんなに時間をかけてもたどり着かないでしょう。