『数奇にして模型』森博嗣

家庭内読書会「森博嗣完全読破」企画、第十回課題本。


数奇にして模型 (講談社文庫)

数奇にして模型 (講談社文庫)


大変おもしろく読みました。これまで森博嗣作品の感想はワルクチばかりでしたが、今回は違います。おもしろかったです。事件の様子も興味深かったし、その解決にもワクワクしました。


数百メートルしか離れていない2つの場所で、ほぼ同じ時刻に、殺人事件が起きます。ひとつは大学の研究室で大学院生のひとりが扼殺死体で見つかる。もうひとつはイベント会場で、イベントのモデルをしていた女性が首を切断された状態で見つかり、その女性と同じ部屋で、ひとりの男性が気絶して倒れている。

そして、事件のあった部屋は両方とも密室だった。

より興味深い様子を呈しているのは、イベント会場で起きた事件のほうですよね。首のない死体と気絶した男。部屋は密室ですから、気絶した男に容疑がかけられるのだけれど、まさか自分が殺した死体と一晩を同じ部屋で明かすなんてね。ちょっと考えにくい。なにより切断された首が見つからない。という状況からストーリーは展開します。


これまでワルクチが多かった森博嗣作品に比して、どうしてこの作品はおもしろく読めたのか、正確な理由は自分でもわからないのだけれど、ひとつには犯人の「動機」があると思います。「なぜ」それをしたのか。森博嗣作品における犯行の動機が、わたしにはたいていしっくりこなかったのだけれど、今回はとてもよくわかりました。犯人がなぜ、殺人を犯したのか。なぜ、死体の首を切ったのか。
どんなに緻密なトリックがあっても、それがどれほど鮮やかに解かれても、「そんな理由でそんなことするかなぁ」と思ってしまうと台無しな感じがするのですが、今回そう思うことはありませんでした。


思い返してみれば、これまでの犀川・西之園シリーズの事件における犯行の動機は、だいたいが「狂気」であり、探偵役を務める犀川先生自身が作中でよく口にするように「言葉では説明できない」ものでした。わたしは勝手な読者ですから本に書くなら言葉にしてほしいし、それが説明できないミステリー作品をおもしろいとは思えません。ただ、言葉になっていなくても「わかる」と思えることもあるのだと、今回気づかされました。
この作品でも、犯行の動機はすべて説明されているわけではありません。そもそも事件のあらましを語るのは犯人ではなく犀川先生ですから、その説明は動機も含め、事象とその事象から得られる想像とによって成されています。それは今作だけではなくて、本シリーズのいつものスタイルです。このスタイルを取っている以上、作者は最初からすべてを明らかにするつもりはないのでしょう。事件に関与していない第三者に語らせるわけですから。

「すべてを明らかにするつもりはない」ミステリー作品には不満を覚えます。全部説明してほしい。いつもそう思っていました。でも、説明が不完全でも、第三者の語る想像の解答でも、「わかる」と思えれば楽しいし、もっと言えば、すべてが言葉で明らかにされなくても「わかる」と思えることが読書における、作者と読者にとっての成功なのではないかと思いました。


好きとか、おもしろいとか、よく出来ているとか、美しいとか、その逆とかどうとか、ということではなくて、その作品の「狂気」が、わたしの中にあるかないか、というだけのことなのかもしれません。