『スティル・ライフ』池澤夏樹

再読です。

スティル・ライフ (中公文庫)

スティル・ライフ (中公文庫)

冒頭が印象的な小説です。そしてたぶん、誰が読んだって冒頭が印象的な小説なのではないでしょうか。この作品を好きな読者なら、みんなそう思いますよね、きっと。
表題作の「スティル・ライフ」は80頁ほどの小さな短編で、センセーショナルな内容を含むわけでもなく、どちらかといえばひっそりとしたお話なのに、の割には広く読まれてファンも多いように感じていたので、なんだろうな、と思っていたら、芥川賞作品なのですね。それで合点がゆきました。この作品についてなんの情報もなく本屋さんに行って、なんとなく手にしたのが「スティル・ライフ」だったという人の積み重なりでこんなに広く読まれるものなのだろうかと、ずっと不思議だったのです。


前回感想文を書いたときにも引用しましたが、印象的な冒頭をいまいちど。


この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄命の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。(p9-p10)


初めて読んだときは、外の世界と自分の世界をうまいぐあいに繋げることができない苦しさがあった頃(つまりは若かった頃)で、だから「なるほど」と思ったんです。そう考えればいいのか、そうして回りを見渡してみればいいのか、と。
でも月日が経って今読んでみて思うのは、わたしにはもう連絡がついたんだな、と。外の世界と内の世界との間に連絡通路があるな、と。そしてその連絡通路はわたしの場合「結婚」だったな、と。

星やせせらぎやセミ時雨と比べると、結婚というのはなんだかロマンのない単語ですけれども、でも星を見るより、せせらぎに耳を澄ますより、セミ時雨を浴びるようにして真夏の道を歩くより、強力な連絡をつけてくれます。紙を一枚提出しただけなのに不思議なものです。

何もしなくても連絡がついているので、毎日を過ごすのはこの小説が教えてくれた通り、ずっと楽になりました。そして、何もしていないからなのか、外の世界も、自分の世界も、どう繋げたらよいかわからなかった頃とは、違うものになっているような気もします。以前はどっちも頑ななものだったように思うけれど、あの頃に比べると今は、外も内も、ほんわり柔くなったかもしれません。


ちなみに、上のような冒頭で始まる小説ですから、まだ読んだことのない読者は、さぞ清澄で端正な物語を想像されると思いますが、そしてその通りなのですが、しかし本作品の主要部は「株で金を稼ぐ話」です。株で金を稼ぐのに、清澄で端正な小説なのです。

株で金を稼ぐ話を書いているのに清澄で端正であることが失われないのは、内と外とをつなぐ作者の連絡通路が清澄で端正だからなのだろうという気がします。