『地下室の手記』ドストエフスキー 訳:江川卓


地下室の手記 (新潮文庫)

地下室の手記 (新潮文庫)


以前は八等官の役人だったけれど、親戚の遺言で6千ルーブリが手に入ったのを機に、さっさと辞表を出して引き篭もって、現在は40歳になっている男が、地下室で綴った手記。


しちめんどくさいことがいっぱい書いてあって、わかりそうでいまいちよくわからなくて、ややこやしくて、でもその中に、びっくりするほどとてもよく理解できることがある。その「とてもよく理解できる」ときの段違いの動揺が忘れられない。だから、しちめんどくても、むつかしくても、ややこやしくても、でもやっぱりもっかい読もうと思う。そういう小説です。ドストエフスキーの作品はどれもそうですけれどね。


この作品を読んで思ったことを、どうやって言ったらいいのか。いや、そもそも、わたしが感じたことはいったいなんなのか。この作品を通してわたしなりに捕らえることのできた解答がたしかにここにあるのに、この解答の姿かたちをどう説明したらいいのかがわからない、とムヤムヤしていましたが、訳者の解説を読んだら明瞭になりました。それ!まさにそれ!と。「それ」であるからこそ、また読みたいのであって、もし「それ」でなければ、読んだってしかたない。


というわけで、わたしが言葉にできなかった感想は、解説によって明瞭にされ、しかも全体的にうるとらグレードアップな文章で提示されておりましたので、わたしは自分の感想文を書く気を失いました。アーメン。


ちなみに「それ」が何であるかは、これから読む人のためのお楽しみです。言いたいけど。