葉桜の季節に君を想うということ

u-book2007-07-24


以前歯医者の待合室で読んだ女性週刊誌に、後戯のないセックスはデザートのないディナーようふふ、というようなことが書いてあったが、男から言わせてもらえれば、ふざけるなバカヤローである。射精した直後に乳など揉みたくない。たとえ相手がジェニファー・ロペスであってもだ。男という生物の体は、エデンの昔からそうできている。


という出だしで始まる物語。

え゛。そうなの?? 本当にそうできてるの? と思ったわたしは、ついつい続きを読んでしまって、気がついたら事件が起こってしまっていたので、せっかくだから最後まで読むことにしました。

事件は、主人公の弟分が、秘かに想いを寄せる女性の、家族が、車に轢かれて死んでしまうことに始まります。表向きは事故ということにしてあるが、女性が言うには、事故ではなく故意の轢き逃げの可能性があると。なぜならば、死んでしまったおじいさんには、第三者によって多額の保険金がかけられており、しかもその保険金の受取人は、法人登録されていない架空の会社であることがわかったからです。要するに、保険金殺人ではないかと疑っているのです。

女性と弟分からの強い依頼によって、主人公は事件の真相を突き止めに動き出します。

女性から話を聞くと、死んだおじいさんは生前、悪徳商法の手口にひっかかって、ある会社から一組百万円の布団だの、ペットボトル一本で二万円の水だの高額のインチキ商品を売りつけられ、総額で約五千万もの買い物をしていました。遺族の女性は、その会社がおじいさんの死の原因に何か関わっているのではないかと言います。そして物語は、その会社の正体と悪行を暴いていくことを柱として進行します。



事件の真相にたどり着いたとき、主人公は犯罪(殺人の手助け)を犯した相手にこう言います。

「君は何かというと、死にたいとか、人生はもう終わりだとか、ネガティブなことを口にするが、君は実は生に対して非常な執着を持っている。死にたくないという気持ちが強いから、犯罪の片棒をかつぐようなことをしてでも生きる道を選択した。・・・(中略)・・・俺は君のそういうところ、何が何でも生きてやるぞというバイタリティーに惹かれるものを感じているんだよ。やむない事情があるとはいえ、蓬莱倶楽部(悪徳商法の会社)に手を貸したというのは許しがたい。絶対に見過ごしてやるもんか。警察に連れて行く前に二、三発殴ってやりたいくらいだ。しかし、君が犯したあやまちと、君がバイタリティーを持って生きているということは話が別だ。・・・(中略)・・・ピート・ローズ野球賭博の疑惑がかかろうと、それが原因で永久追放の処分がくだされようと、俺は彼の四千二百五十六本安打は断固として評価するし、日米野球で見せてくれたヘッド・スライディングは決して忘れない。ああ、忘れるもんか・・・(中略)・・・要するに、君が人殺しの片棒をかついだからといって、俺は君の人格を全否定するようなことはしないということだ。」


物語の最後の最後です。すべてが明らかになって、自殺をほのめかした犯罪者に対して主人公はこう言ったのです。


おいおい。。とわたしは思いました。何が何でも生きてやるぞという気持ちはいいかもしれないけど、罪のない人を騙して、お金を搾り取って、終いには殺害までして、自分だけが生きようとするのをバイタリティーと言っていいのか? 二、三発殴ってやりたいと言うけど、罪は人殺しだよ? 人の命を奪っておいて、殴られるだけで済ませちゃうの?「死にたくないという気持ちが強いから、犯罪の片棒をかつぐようなことをしてでも生きる道を選択した」人間のバイタリティーは強くて、死にたくなくても犯罪を犯してまで生きようとしなかった人間のバイタリティーは弱いと? そんな失礼な。 さらに、野球賭博ができるバイタリティーと、人殺しができるバイタリティーは、同じライン上で比較できるものではないでしょう。とわたしは思います。


つまらない話じゃないけど、ちょっとひどいと思う。殺されたおじいさんがかわいそうです。



歌野晶午著『葉桜の季節に君を想うということ』文藝春秋