オーデュボンの祈り

u-book2007-09-27



自分の人生をリセットしようとしてコンビニ強盗をした(未遂に終わったので、正確には「しようとした」)伊藤は、警察から逃げようとしてある島にたどり着きます。「荻島」という名のその島は、外の世界とはもう百五十年も交流していない隔絶された孤島で、島民約千人はみな、この島から一歩も出ることなく人生を送るのだといいます。
この島には未来を見ることができるカカシがいて、名前を「優午」といいます。田圃の中心にまっすぐ立っています。そのカカシは「伊藤」がこの島にやってくることも知っていました。未来がみえるからね。
あと、島のルールとして存在している「桜」という男がいます。島の中で彼だけが拳銃を持っていて、悪いことをした(と彼が判断した)人間を、彼はその拳銃で射殺します。誰も何も言いません。恐れているわけでもありません。こんなのおかしいよと伊藤が抗議すると「桜だから」と言って、みんなのんびりしています。そういう島です。

その島で事件がおきます。優午がバラバラにされて殺されてしまうのです。島民はみな悲しみます。優午は島民からとても慕われていました。犯人は誰で、いったいなぜ、とみなが思います。そして当然のごとく思い至る疑問。

どうして、優午は自分が殺されることを予測できなかったんだ?


荻島にはいろんな人たちがいます。その人たちを見ながら、話を聞きながら、伊藤は優午のことを考えます。優午が死んだ理由。優午をバラバラにした犯人。そうなることを知っていたはずの優午。

伊藤は優午が生前「オーデュボン」について話していたのを思い出します。

田中という男に会いましたか?オーデュボンの話は、聞かせてもらいましたか?

伊藤が

その話は、僕に関係するのかな

と言うと、優午は深く考え込みました。

関係ないかもしれません。ただ、伊藤さんに聞いてもらいたかったのですよ。

ジョン・ジェームズ・オーデュボン。十九世紀の動物学者である彼は、ケンタッキー州でリョコウバトが渡っていくのを見つけた。リョコウバト――二十億羽もの群れで、空を覆いながら飛ぶ鳥。空は鳩で埋まり、日食のように暗くなった。三日間彼の頭上を飛び続けた絨毯のような偉大なる鳩の群れに、オーデュボンは感動する。一八一三年のことだ。その鳩が人間たちの乱獲により、絶滅の危機を迎える。何十億もの鳩がである。それほどに人間は鳩を殺した。


田中は言います。

オーデュボンは、見ているしかなかった。もしかりに、リョコウバトの絶滅の兆候に気がついても、どうしようもなかっただろう。


そしてそれは誰にもとめられないのだ、と。

なぜなら、大きな流れだからだ。良くも悪くも世界には大きな流れがあって、それには誰も刃向かえない。流れは、雪崩や洪水のように巨大だが、水温むようにゆったりとした速度でやってくる。リョコウバトの絶滅もそうだし、大半の戦争だってそうだ。誰もが気がつかないうちに、すべてがその流れに巻き込まれていく。


以前優午が言いました。

この島がリョコウバトと同じ運命をたどるとすれば、私はオーデュボンのようにそれを見ているしかないでしょう。

『ただ、私は祈りますよ。』

と。


優午の祈り、オーデュボンの祈り。


彼らが何を願い、望み、そのために何をしたのか。


百年以上も田圃の真ん中で、ずっと未来を見続け、人々に救いを与え、ときには怒りを浴びせられ、そこから一歩も動かずにじっと立って世界をみていたカカシ。彼はオーデュボンのようにただ見ているところからほんの少しだけでも、先に行きたかったのかもしれないなと思います。
あと、自分の人生をリセットしようとするなら、コンビニ強盗じゃないほうがいいなとも思います。



伊坂幸太郎著『オーデュボンの祈り』新潮社>