ヒートアイランド

u-book2007-10-05



渋谷のストリート・ギャング「雅」。チームを束ねるのは、野生の牙を隠し持った冷静で隙のないアキと、口達者で金の使い方に堅実なカオル。このふたりが組織した「雅」は、今や渋谷ストリート・ギャングのトップに立っています。

さて、物語はこのふたりの配下にいた仲間が、ある日とんでもないものを持ち帰ってくることに始まります。ボストンバッグに詰まった多額の現金。彼らは、夜のバーである男に因縁をつけ、暴力沙汰を起こし、ついでに男が持っていたバッグをそのまま持って逃げてきたのです。開けてみて、あらびっくり。数えてみてもっとびっくり。三千二百万円なり。


ボストンバックの持ち主はいったい誰で、どういう人物で、金はどういう種類の金なのか。そして、いきなり転がり込んできたこの金を、アキとカオルはどうするのか。


現金三千二百万円の行方を軸にして、その金に巻き込まれた人たちの、過去から今に至るストーリーが要所要所に織り込まれ、登場人物たちの魅力を追うこともまた楽しみのひとつとなっています。アキの過去、カオルの過去、アキとカオルの出会い。そして「雅」が結びつけたふたりの今。


彼らには誰とでも戦える強さや勢いや若さがあって、それを押し通すための頭もある。相手がプロの強盗犯でも、やくざでも、拳銃でも、怖いもの知らずで立ち回ることができる。だけど彼らが戦うべき相手は、本当は違うんじゃないかなってわたしは思う。強盗犯でもやくざでも拳銃でもなくて、そういう場所に自分たちを連れてきた社会。彼らが疑って、見損なって、突き放した、わたしたちを動かしているシステム。戦う相手はそっちなんじゃないかって。


アキやカオルを見ていたら、そう思った。すごくもったいない。


アキが怒りを覚える社会の不公平なシステムや、カオルが責める自分の行動に責任を負えないオトナがつくった「クソみたいな国」は、だからわたしたちが変えていかなくちゃいけない。そういう怒りや疑問を持てたことが進歩への第一歩であって、文句だけを言って、自分たちはそんなオトナにはならない、そんな社会の中には入らない、というのではそこで進歩は止まってしまう。それではいつまでたっても「そんなオトナ」は減らないし、「そんな社会」はそんな社会であり続ける。いまあるシステムはわたしたちとは関係のないところで作られてきたものだけれど、そのシステムに対して何かできるのは今生きてるわたしたちしかないし、「何もしない」という行動も、わたしたちにしかできない。だとしたら、やっぱり今のシステムや社会に対して責任があるのは、過去の人間だけじゃない。今を生きるわたしたちにも責任はある。大いにある。そして、責任があるということは、わたしたちにそれを変えるチカラがある、ということだと思う。


そう考えるとわたしはワクワクするんだけどな。アキやカオルには伝わらないだろうか。




垣根涼介著『ヒートアイランド文藝春秋