深紅



家族を殺された少女が、自分の家族を殺した犯人の娘に会う。そういうお話。

奏子(かなこ)には家族がいました。父と母と幼い弟ふたり。でも小学六年生のときに自分以外の家族四人をすべて失います。奏子が修学旅行に出掛けているあいだに、四人は殺されてしまうのです。都築則夫という男の手によって。

修学旅行の最初の夜、就寝前の生徒だけの楽しい時間。そこにやってきた担任の先生に奏子だけが呼び出されるのです。「すぐに帰る支度をしなさい。」

東京に戻った奏子を待っていたのは、親戚の叔母と四体の遺体でした。
白い布をかけられた遺体は、頭と体のバランスがおかしくなっていました。
頭部の起伏が小さいのです。
窪んでいる。
その意味をわかりかけとたとき、奏子の心は蓋をしました。



奏子が大学生になったとき、家族を殺した都築則夫の死刑判決が確定します。立ち寄った本屋で、奏子はそのことを記事にした週刊誌を手に取ります。そして初めて知るのです。都築則夫には自分と同い年の娘がいたということを。都築未歩。


会ってみたい。


奏子は思います。どうしても会って確かめたい。自分と対極にいる彼女の心の苦しみが、自分のそれに匹敵するものであることを。「あたしも殺せばいいのよ。」そう言い放った都築未歩は、父親の死刑が決まって、今どう生きようとしているのか。生きていたくないなら自分をどう滅ぼそうとしているのか。知りたい。


そうして出会うのです。家族を殺されてたったひとり生き残った奏子と、死刑囚の娘である未歩。奏子の欲望と未歩の現在が交差します。そこで起きること。


この作品、個人的には最初の100ページが抜群にいいです。奏子が修学旅行先から東京まで戻ってくる場面と、都築則夫の上申書の部分です。上申書には都築則夫が犯行にいたった動機、経過と、犯行をしているまさにその現場の様子が都築則夫の手によって書かれた形で提示されています。人が殺されているシーンですからもちろん快い場面ではないのですが、この作品における導入部としてとても効果的だなと思います。鬼気迫る心の変化に現実感があります。弱い心が凶器になる。その過程の書き方がとても好きです。


何かが、誰かが、どんなに自分の歩む道を「生きにくく」しても、それでも生きていかなくちゃいけない。それは決して死ねないからではなくて、生きたいって、そう願っているから。死んでしまえばいいと思う絶望の端っこにその願いがあれば、人は生きていけるんじゃないか、そんなことを思います。