19世紀のフランス


ある貴族の家に生まれた娘の物語。

理論家の男爵は、娘を幸福な、善良な、そして優しい女に育てたいと思って、教育の計画をすっかり立てていた。
娘は十二の年まで家におかれたが、それからは、母親は泣いてそれをいやがったけれども、聖心(サクレ・クール)修道院の寄宿舎に預けられた。
男爵は娘を厳重に修道院に閉じこめておいた。人からも知られず、また浮世のことも知らさずにおいたのである。十七になったら、純潔なままの娘を返してもらいたいと男爵は望んでいた。そして自分の手で、娘を正しいりっぱな詩の浴槽というようなもので湯あみさせようと考えていたのだった。そして、野を歩きまわり、豊穣な大地のふところで、素朴な恋の姿、動物の無邪気な愛情、生命の清純な法則などを見せて、娘の魂を開いてやり、無知のしびれをほぐしてやろうと思っていたのだった。


19世紀のフランス貴族階級の家。
子供の育て方の良し悪しというのは、その時代や文化の様子によってずいぶんと変わってしまうものだろうけれど、この男爵が望んだ娘の育て方というのは、いつの時代のどこの国のお父さんでも、娘を愛する人なら少なからず抱く望みではないかと推測いたします。まったく困ったものです。こんな時代に生まれなくてよかった。この男爵の娘じゃなくてよかった。だって、絶対にお父さんを悲しませてしまうもの。うふ。

一家は彼女が修道院から出てきた翌日、この一夏を海辺の所有地で過ごそうと出掛ける準備をしていました。ところが外は大雨。出発を躊躇する両親とは反対に、ずっと修道院の壁に閉じ込められていた娘ジャンヌは一日たりとも待つことができません。父親に出発をせがみ、母親と交渉をし、数分後には「馬をつけさせてちょうだい」と言って、いち早く馬車に乗り込もうとします。

貴族の家というのは、そういうところなのだなと思います。娘を愛して止まない心やさしい両親と美しく純粋な娘。でも彼女たちの生活というのは、彼女たちの都合だけで動いています。たとえばここでは、豪雨の中を馬に跨る馭者のおじいさんの都合は考えられていません。馬車を走らせる二頭の馬と同じ扱いをもって登場します。時代や文化の違いだなと思います。現代なら、そういう扱いは何かしらの批判を伴って文章の中に記述されると思うのです。おじいさんの様子を馬が走るのと同様に描けるのは、この時代の文学だからできることなのではないかと思います。おじいさんかわいそう、現代のわたしは思うのです。


19世紀のフランス。とくと楽しもうと思います。


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