最近の若者

u-book2008-12-25



「俺、絶対に彼女をあきらめられない。あきらめるくらいなら、彼女を殺して、俺も死ぬ。」

探偵を生業とする主人公石神は、ストーカー被害を受けている女性から依頼を受けます。いくつかの証拠をつかみ、相手の男の説得にかかりますが、目の前の男の口から出てくるのは子供じみた頑ななセリフばかりです。

いますよね、こういう人。現実に関わったことがない人には信じられないかもしれませんが、本当にいます。わたしが実際こういう被害に合ったとき(ストーカーとまで言える被害ではなかったかもしれませんが)、周りの人は彼を幼いと言ったし、親の過保護だとも言ったし、彼の愛情を称して自己愛だとも言いました。小説の主人公石神も同じことを言っています。わたしは、彼が幼かったかどうかも、ご両親が過保護だったかどうかも、彼の愛情が自己愛に過ぎなかったかどうかも、よくわかりません。よくわからないけれど傷ついたことはたしかです。ある意味では取り返しがつかないくらいに。

石神は、悲しみや怒りとうまく付き合っていけるようになることが人間の成長だと思っている。そういう意味でいうと、最近の若者はまったく成長していないように感じられる。(21項)

彼女が好きで、フラれて、それが受け入れられないからストーカー行為をする。石神はその原因が悲しみや怒りにあるように表現していますが、わたしはそうは思いません。悲しければ泣く、怒っていればたとえば暴力を振るうかもしれない。でも相手に嫌がらせのメールをしたり、たとえば盗聴や盗撮をしたり、ゴミをあさってプライバシーを侵害する「ストーカー」行為は、悲しみや怒りとは別の次元で動いているはずです。わたしは「ストーカー行為」は、単なる「無責任」の集積だと思います。自分の行為のすべてに責任を負えない、あるいは放棄している、そういう卑劣な行為だと思います。自分の行動が誰をどれほど苦しめ、傷つけ、侮辱しているかを考えることもせず、そこになんの責任も感じることのできない人の行為だと思います。「悲しみ」や「怒り」というのは犯罪者がその行為の原因を問われたとき口にする言い訳にすぎません。犯罪者は悲しくなんかないのです、怒ってもいないのです。悲しみと怒りを感じる者がいるとしたら、ストーカーをされている側のはずです。

ストーカー行為に限らず、無責任な行動で他人を傷つけないことが人間の成長だとするなら、成長できていないのは若者だけじゃない。無責任で腐った大人は無責任で腐った若者と同じくらいたくさんいるとわたしは思います。ただ年をとると無責任の行為の表れが「恋愛」や「異性」よりは「世間」や「地位」や「権力」に向かう。それだけのことだと思います。たいして変わんない。

わたしはその中の一人にならないように、もうなっているかもしれないけれど、だとしたらそこから抜け出せるように、だからこうして本を読んでいるのかもしれません。誰かの声で気づけることはあるから。





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