不幸はナイフのようなもの

u-book2008-12-29



不幸はナイフのようなものだという。刃をもてば手が切れるけれど逆手に持てば利用できる、と。(11項)


孤児院で育てられてた倉折飛鳥(クラオリアスカ)は、六歳になったとき本岡という家にひきとられていきます。しかしその家で愛情を注がれることはなく、特に本岡家の同い年の娘奈津子からのいじめが飛鳥を苦しめました。とうとう我慢できなくなった飛鳥は本岡家を飛び出し、滝杷祐也(タキエヒロヤ)という飛鳥が唯一信頼をよせた「お兄さん」に拾われて育てられることになります。


個人的なことですが、主人公の倉折飛鳥がわたしの友人にとてもよく似ています。まるでわたしが聞いたことのある友人の意見の断片を倉折飛鳥が肉付けをしてまとめたかように類似しています。理不尽な物事に対する疑問の投げ方や解答の出し方、抵抗の仕方、諦め方などはそっくりそのままです。敵味方の区別の仕方、敵への攻撃の仕方、味方への信頼の寄せ方もまたしかりです。正しいけれど危ういなぁと感じます。でも、正しいのです。


この作品を読んでいると、人間と人間は本当に難しいのだということを思い出します。わたしはもうずっと忘れたふりをして暮らしているけれど。






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