サイモン

このくだりがとても好きです。やはりノーベル賞作家の文章であると思わされます。(というのは原文で読んで言うべきことなのでしょうが。)

当然そこにいるはずのサイモンの姿は、水泳プールでも見当たらなかった。
さっき、ラーフとジャックが、浜辺へくだって山をふり返って見ようとしたとき、サイモンは実は数ヤードを距ててその後を追っていたのだが、その途中で立ち止まってしまったのだった。だれかが、ちっぽけな家というか、とにかく、小屋を砂で作ろうとしている浜辺の砂山を、彼は嫌な顔をしながら見下ろして立っていた。それから、くるりとそれに背を向けて、何かはっきりとした考えがあるようなようすで、森の中へ入っていった。彼は小柄な痩せた少年で、その顎はとがり、眼はひどくきらきらしていた。ラーフも彼の眼を見て、うっかり彼を快活でいたずら者と勘違いしたほどだった。粗いぼさぼさの黒い髪が長くのびており、そのため平べったい額もほとんど隠れるほどだった。ぼろぼろの半ズボンをはき、足はジャックと同じように裸足だった。いつも黒ずんだ顔をしていたが、今では日に焼けて真っ黒になり、それが汗でぎらぎらしていた。
彼は断崖をこえ、最初の日の朝ラーフが登った巨大な岩を登り、それから右に折れて森の中へ入っていった。果物のなっている広々としたその森の中を、彼はいつもの足どりで歩いていった。(中略)
サイモンは、立ち止った。ジャックがやったように、彼もふり返って自分の背後が閉ざされていることを知り、ぐるっとすばやくあたりを見まわし、今や完全な孤独であることを確かめた一瞬間、彼の動作は、まったく一目を盗むような素振りを示した。それから、かがみこみ、蔓草の蓆の真ん中へもぐりこんでいった。蔓草や叢がびっしりと密生しているため、彼の汗が点々とそれらに流れ落ちたほどで、彼がもぐってゆくにつれ、蔓草や叢は彼の後からおおいかぶさっていった。真ん中におちついてみると、そこは、わずかな葉で外の空間から遮断された小さな小屋といった観を呈していた。彼は坐りこみ、茂った葉を押し拡げて、外を見た。動いているものといえば、この暑気の中を、互いに戯れるように飛びかっている二羽の華麗な蝶々以外には何ものもなかった。彼は、息をのみ、聞き耳をたてて、じっとこの島から響いてくる音を聞こうとした、夕闇が島のほうへ、どこからともなく忍び寄ってこようとしていた。色彩豊かで奇怪な鳥の鳴き声、蜂の唸り声、それに、角ばった崖の中にある塒に帰る鷗の叫び声でさえも、今ではかすかになっていた。数マイルかなたの珊瑚礁に打ち寄せ、そしてくだける大海のにぶい波の音も、今では、血液の囁きの声よりも、まだかすかなものとなっていた。
サイモンは、幕のように垂れている木の葉の茂みをもとのとおりにした。斜めに射してくる幾条もの蜜色の夕日の光も、しだいに淡くなった。それらの光線は、灌木をこえ、緑の蠟燭のような蕾の群れをのりこえ、天蓋のような梢へと移動していった。茂った木の下では、暗闇が濃くなった。光が色褪せてゆくにつれ、眼もくらむような多彩な色合も死んでゆき、酷熱も、喘ぐような雰囲気も、しだいに涼しくなっていった。蠟燭のような蕾がびくびく動いた。緑のその萼片が少しめくれ、花の白い尖端が、ほのぼのと大気に向って開いていった。
もう日光はきれいにこの空間から去り、空からも姿を消してしまっていた。暗闇が漂い、木々の間の道をかき消し、あたりはただ海底のような、漠々たる、そして、奇怪な、雰囲気に包まれていた。蠟燭のような蕾が大きな白い花となって開き、それが宵の明星に続く星々のちかちかするような光芒をうけて輝いていた。花の芳香が大気いっぱいに流れ、島全体をおおっていった。
(89-92項)


タイプするのが楽しくてしかたない、そういう種類の文章というのが確かにあります。


森の中、深く入っていく少年。彼を取り囲む木々の息づかいと時の経過。思わず自分の血液の音に耳を澄ませてしまうのはわたしだけじゃないはず。







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