分析的推理

u-book2009-03-09



個人的にはこの小説の106項〜190項(犯人の独白)はなくてもいいのではないか、とまず思いました。それは「無駄なものがある」という批判的な気持ちからでなく、どちらかというと、ミステリー小説においてもっとも楽しめる部分になり得る「犯人の告白」がなくても、作品の仕上がりは損なわれないのではないかと思わせる、他のミステリー小説とは異なる特筆すべき魅力がこの小説、あるいはシャーロック・ホームズにはあるのだろうなという気持ちからの感想です。
シャーロック・ホームズシリーズの他の作品にもおそらく同じことが言えるのではなかろうかという推測が促されるくらい、やはりホームズという人は魅力的です。現代まであまりにファンが多くあまりに親しまれてきたせいもあるかとは思いますが、ホームズを誰かが作り出した架空の人物と認識することに抵抗を覚えるほど、彼は本当に生き生きとしています。こんなキャラクターの持ち主が実在しているほうが不思議なくらいなのに、実在していないのだと思うことのほうに違和感を感じます。本当にいなかったのかな、と。

「(省略)あるできごとを順序を追って話してゆくと、多くの人はその結果がどうなったかいいあてるだろう。彼らは心のなかで、個々のできごとを総合してそこからある結果を推測するのだ。
しかし、ある一つの結果だけを与えられて、はたしてどんな段階をへてそういう結果にたち至ったかということを、論理的に推理できる人は、ほとんどいない。これを考えるのが僕のいう逆推理、すなわち分析的推理なんだ」
(193項)

 

ホームズの分析的推理に多くの読者が魅入られたのは、決してその分析があまりに見事であったからだけではないだろうとわたしは思います。何気ない会話でもいちいちワトスン君を驚かせて自分は取り澄ましているところ、世間に名高いふたりの敏腕刑事の落ち度を自分の推理でやりこめて内心ではほくそ笑んでいるようなところ、自分の推理に穴(かもしれないもの)を発見したときのまるで子供みたいな悔しがりっぷり、思案にふけって肘掛け椅子にもたれこんでいるとき様子などはその気難しい顔が容易に想像されて、額を人差し指でつんと押してやりたくなるくらいです。そういう彼のする分析的推理だからこその魅力ではないか、と自分で推理のできないわたしなどは思うわけです。


次は『四つの署名』を読みます。




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