ドイル自薦No.9『悪魔の足』

u-book2009-03-29



私刑を認めるか否か、ということについて考えをめぐらす機会は、やはりミステリーを読んでいると必然的に増えるように思います。私刑に対する社会全体の意見は、時代やそのときの社会情勢や犯罪のあり方によっていくらでも変化し得ると思いますが、わたし自身は常に私刑には反対したいと思っています。


自分の大切な人の命が第三者の悪意によって奪われてしまったとき、だからといってその犯人を個人の裁量で裁いていいはずがないという道徳的な高い理想を掲げるにはわたしはあまりに未熟ですから、自分が私刑をすることはないと断言することはやはりできません。大切な人を殺されたときの自分の行動など、どうして自信を持って定義することができるでしょうか。


しかしわたしは、私刑を行った犯人を見逃すという立場には、どうしても疑問を抱かずにはいられません。アガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』もそうでしたが、犯人が悪人ではなく、善良なる市民であったとき、だからといってその犯罪を見逃すという結末を、正義が勝ったのだと、わたしは手離しで喜ぶことができません。その結末は主人公(『オリエント急行殺人事件』ならポアロを、『悪魔の足』ならホームズ)をヒーローではなく神にしてしまうと思うからです。そして何より、このような結末は、その物語の中の正義を守ることにはなっても、その他多くの「大切な人の命を奪われても復讐という手段を選ぶことなく必死に生きている人の正義」は損なうことになると思うからです。

じゃワトスン君、もうこんなにいまわしい問題は忘れさって、あくまで穏やかな気持でカルディアの語根の研究を再開することにしようよ。(277項)


ホームズ自身、決して後味のいい思いはしなかったのだろうと思います。



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