<ドストエフスキー月間>『貧しき人びと』vol.2


とうとう4月もあと一日となりました。残り70ページです。なんとしても読み終えたいところです。


この作品は最初から最後まで基本的にはすべて、マカール・ジェーヴシキンとワルワーラ・ドブロショーロワとの「往復書簡」ですが、途中、ワルワーラの過去を記録した「手帳」の内容が紹介されます。わたしはこの手帳の中身がとても好きなのですが、特に、ワルワーラが隣りで暮らす青年ポクロフスキーの部屋へ忍び込んだことが書かれてあるシーンでは、両手を握り締めて彼女の想いを応援したくなったほどでした。

ポクロフスキーの部屋はあまり掃除もゆきとどいておらず、ほとんど整頓されていませんでした。机の上にも椅子の上にも、紙が散らかっていました。本と紙! と、不思議な想いが頭にうかんで、それと同時に、あたくしは不快な忌々しさにかられてしまいました。あの人にとってはあたくしの友情とか愛情なんてもの足りないのだ、という気がしたからです。あの人には学問があるのに、このあたくしときたらばかな娘で、なにひとつ知らず、本一冊読んだことがないのですから……そんなことを考えながら、あたくしは本の重みでしなっている本棚を羨ましそうに眺めました。あたくしは忌々しさ、悩ましさ、さらには変にもの狂おしい気分にかられてしまいました。あたくしは彼の本をみんな一冊のこらず読んでしまいたい、一刻も早く読んでしまいたいという気持にかられて、さっそくそれを実行に移そうと決心しました。ひょっとすると、彼の知っていることをすっかり勉強すれば、彼の友情にふさわしい女になれるだろう、と考えたのかもしれまん。(61-62項)

このときのワルワーラと同じような気持ちを、わたしはほとんど同じように抱いたことがあります。それはとても切なく、寂しく、しかしまた希望に満ちた気持ちであることをわたしは知っています。少なくともわたしはそうでした。「彼の知っていることをすっかり勉強すれば」と、本当にそう思うのです。その可能性にすがり、すべてを賭けてみたくなる瞬間なのです。


本と紙!


あの想いからまだ卒業できずに、わたしは今もこうして本を読み続けているのだなぁと思います。




と、感傷に浸っている場合ではなかったのでした。
あと一日。さて続き続き。





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