<夏目漱石月間>『それから』vol.2


とうとう月を跨いでしまいました。昨日ようやく読み終えたような次第です。


ながーく時間をかけて読んだわりに、感想らしき感想もないので困ります。すごかった、という一言だけが一番素直な感想です。しかし、それだけではあまりにも感想文として貧しいので、もう少し付け加えます。


『それから』は主人公の長井代助が、友人平岡の妻である三千代と深い関係を結んだような結ばないような、そういう物語です。平岡と三千代の結婚を取り持ったのは当の代助だったのですが、代助は平岡に紹介する前から三千代を愛していた、ということらしく、ひさびさに東京へ帰ってきたふたりを見て、代助の熱が再燃してしまいます。ボっ。
三千代は三千代で、これまた最初から代助が好きだった気配あり。そしてお互いに両思いであろうことは感じ取っていたような、いないような模様。にもかかわらず、代助の義侠心(←と物語中に書いてある)がために、代助は平岡と三千代の結婚を斡旋し、三千代もそれならばと平岡の妻になることを選んだ。ということらしい。


作中では、三人の過去の経緯を決定づけるような書き方がなされていません。あくまでも今のそれぞれの声を聞いて、過去のある時点での状況や心情を探るしかありません。


漱石の文章については、その日本語だけですでに驚きに満ちているのですが、中でも『それから』に関しては、長井代助という人間の思考が、自分の感情にとてもよく馴染むことに、わたしにとってのさらなる驚きがあります。彼の言動に憧れるわけではなく、彼の思考に尊敬の念を抱くわけでもなく、とてもよく理解ができるという点においての驚きです。彼がどこで何をしても、誰に何を言っても、他人を見てどう感じても、「ああ、そうね。」と思います。そういう側面でもわたしにとって『それから』は特別な小説で、夏目漱石は特別な偉人です。ということを改めて思いました。


ひとつだけ疑問に思っていることがあります。


結局代助と三千代は、男女の関係で一線を越えた、あるいは越えたことがあるのだろうか、と。平岡の反応から推察すると、越えた(あるいは越えたことがある)と考えたほうが自然に感じられるのですが、物語中に、それを決定づける場面はないものですから。いや、本当はあるけれど、わたしの読解力が足りないだけかもしれません。もしわたしの想像力が足りなくて、一線を越えたであろう場面をそのように判断できていないのだとしたら、ちょっとやだよね。子供扱いされてるみたいじゃん。


また読みます。




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