『僧正の積木唄』山田正紀


ミステリー年間、何冊目でしょうか。まただいぶペースが落ちていますが、諦めずにがんばります。


『僧正の積木唄』、とてもよかったです。ベテランの風格が如実に現れている文章と物語の組み立て。といって、わたしは山田正紀という人が何歳くらいの人で、どういうキャリアを持っていて、この作品がいつ、どんな位置づけで著されたものなのかまったく知らないままに読んだのですが、そして著者の名前とタイトルと文庫の装丁から、20代から30代くらいの作者を想像したのですが、読んでみたら「ベテランの風格」がここかしこから漂ってきたので、なんだこれは、と驚いたわけです。調べてみれば1950年生まれの著者が、2002年に発表した作品とのこと。


「ベテランの風格」というのは、もちろん文章の安定性や、ストーリー運び方、伏線の張り方、キャラクターの魅せ方という小説の主要素にも感じられるけれど、でもこの小説からわたしが感じた一番の風格は「問題意識」でした。より正確には「問題意識の提示方」でした。世界のあらゆるところで起き、増え続けている「滅亡」に対しての問題意識。


その意識が金田一耕介の目を介してわたしたち読者に見せられる妙。そのことは偶然かもしれないけれど(別に、金田一耕介じゃなくても、その問題意識は提示されたのかもしれないけれど)うまいですよね、やっぱり。解説を法月綸太郎が書いていますが、それもまた良き理解者としての風格が滲み出ていて楽しいです。

『僧正の積木唄』という作品は(中略)、かなり地に足のついた正攻法の本格ミステリとして書かれているように見える。しかし、一歩引いた地点からながめると、若き日の金田一耕介が戦いを挑んだ「僧正」とは、人類の絶滅を意図する一種の精神寄生体のように見えてこないだろうか?


物語の最後にはこう書かれています。

どんなに鳩を放っても、祈りを捧げても、この地上に愛と安らぎが訪うことはない。平和が満ちることはない。多分、永遠に。