『鳥類学者のファンタジア』奥泉光


何から書いていいものやら。感想をまとまった文章にしようと思うと、ちょっと手に負えません。わたしの望むところではありませんが、ひとつずつ書くことにします。


まず第一に、ベートーベンが登場します。わたしの大好きなベートーベンです。大好きな大好きなベートーベンです。何度言っても足りないくらい大好きなのです。ベートーベン!!そのベートーベンが登場するだけでも心はギュインと惹かれるというのに、作中でのベートーベンの扱われ方からして、作者もまたベートーベンを敬愛していると思われ、ですからそれはもう、ギュインギュインと惹き込まれないわけにはいかなかった次第です。特にベートーベンの最後のピアノソナタ、作品111のハ短調について楽章がふたつまでしかないというくだりなどは、ベートーベンを愛する人にとってはたまらないはず(作品110までのピアノソナタはすべて3楽章、もしくは4楽章あります)。神にもっとも近い音楽家としてベートーベンを登場させるとは、ああ、よくわかっていらっしゃる。ベートーベンの音楽とは、この世界にある数少ない真理の見える芸術のひとつなのです。


次に、ピアノが登場します。わたしの大好きな楽器です。ベートーベンほどではないけれど、まあ好きです。身に覚えのない3歳から親しんで(正確には、親しみを覚えたのは遥か未来の20歳を過ぎてからですが)いる楽器ですし、時間があってピアノがあったら、毎日5時間くらいはずっと弾き続けていられます。7時間だと厳しいですが。そのピアノの魅力が溢れんばかりに描かれています。特にわたしが取り上げたい箇所は「十二平均律」のくだり。他の楽器なら自由に出せる音と音の「あいだ」が、ピアノには出せない。「ド」と「ド♯」の間がピアノにはない、という話ですけれども、これはピアノのことをよくわかって、また、ピアノのことを愛している人でなければ書けないくだりではないかと思います。「あいだ」がない不自由さこそが生む音への情熱を、ピアノを弾く人だけが感じられるのです。とは、少しピアノ贔屓過ぎるでしょうか。まあ、いいよね。


みっつめ。これは書かずにはいられないのですが、わたしは小説を読んで可笑しさにこらえきれなかったことが過去に一度あって(本当は他にもあるかもしれないけれどずっと記憶に残るくらい可笑しかったのは一度だけ)、それが村上春樹ノルウェイの森』の突撃隊のラジオ体操のシーン(←本当に本当に大好きです!)なのですが、ついにこの作品で二回目を経験いたしました。それがどこかを言うのは、断腸の思いですが、やめておきます。人からおもしろいと聞いたあとに読むと、笑えなくなることがあると思うので。是非、大笑いしてください。


というわけで、これがどんな物語なのかということも、大笑いのついでにわかるかと思います。アデュー。