『エディプスの恋人』筒井康隆


ふたつ前の感想文にコメントをくれたまゆるんから「小説にもとめること」という言葉をもらって、さて、わたしはなんだろうかと考えて「文章力」だとひとまずの結論を出したのですが、考えれば考えるほど、その回答は事実に即しているように思われます。登場人物(作者)への共感、描写の既視感、鮮やかなトリック、リーダビリティの高さ、社会への問いかけ、物語の構成力、興奮、感動、感涙、悲哀、etc.. それらを小説に求めないわけはないけれど、その全部がなくてもわたしは圧倒的な文章力があれば、たぶん、感激します。もちろん、文章力がないと、前に挙げたものを得ることもまた難しくはあるし、逆に言えば、「文章力」が指すものは、それらすべてを与えてくれる技術のことだとも言えるのですが。それはさておき。


筒井康隆です。


人の思考を探っていく、そういう文章だから余計なのだろうとは思うのですが、人の書く言葉というのは、その人の思考力のレベルを見事に反映するのだと、怖いくらいに思い知らされる作品でございました。どうりで自分の書く文章が気に食わないわけです。わたしの書く文章を読んで「思考力のレベル」なんてことを、わたしは思った試しがありません。わたしは少しでも高いところから世界を観たいと思って背伸びをしてみるけれど、この文章を読んでいると、もはや背伸びをしている自分の頭は踏んづけられているような気がします。はいはい、もうわかりましたよ。何も言わなきゃいいんでしょ。ええ、書きませんよ。へたくそな文章のくせにいろいろ文句ばかり言って申し訳ございませんでした。というやけっぱちの気分になります。




それでもこうしてがんばって書くんだけどさ。