『麦の海に沈む果実』恩田陸


恩田陸といえばわたしの中では『夜のピクニック』で、なぜならそれしか読んだことがないにもかかわらず、『夜のピクニック』には恩田陸という作家の持ち味がとても心地よく発揮されていると思えたからです。だから『麦の海に沈む果実』にもその「持ち味」を当然期待したのだけれど、わたしにはまったくもって感じとることができませんでした。どうしてこの作品が100選に選ばれているのかまったく理解できなかったので、選んだ本人に聞いてみたところ「まず、雰囲気がいいよね」と言います。恩田陸は「雰囲気」なのだと。たしかにわたしは『夜のピクニック』の雰囲気はとても好きでした。ただ道を歩いているだけだけれど、登場人物たちの息づかいが聞こえてきそうだった。それぞれの想いが、道を歩くという時間の中で揺れたり、強固になったり、重なったり、交差したり、すれ違ったり、伝わったり。ノーブルな青春小説といったら恩田陸が真っ先に浮かぶ、そういう作品でした。


『麦の海に沈む果実』は、大変申し訳ないけれど、ほとんどどうでもいいお話でした。全然良くないとわたしは思います。そこここに良質なセリフは出てくるのだけど、ただそれを言いたい(使いたい)だけのようにしかわたしには思えなくて、なんと言えばいいのか、たとえば『夜のピクニック』は、登場人物のそれぞれの心(あるいは実際の行為)の動きが物語りの雰囲気を作り上げているように感じられるのですが、この作品では、雰囲気のために登場人物が動いているように感じられて、居心地の悪さばかりが先に立ってしまいます。どこもかしこも「作られた」感じがして、それはすなわちわたしにとっては、リアルな世界のように見えてしまうのです。リアルの世界って作り物ばっかりじゃないですか。本当のことって、あんまりない。だから小説の中にリアルな世界の作り物が見えてしまうと、どうでもよくなっちゃうんです。いらいないよそんなの、と。


あー、またなんか嫌な感じだね、わたし。