『忠臣蔵』森村誠一


長い間この本棚を見てくれている友達には驚かれるかもしれませんね。わたし、森村誠一さんが書いたこの『忠臣蔵』が大好きなんです。最初に読んだのは大学生のときでしたが、そのときから現在に至るまで、小説を読みながら涙を流して本当に泣いたのは、たぶんこの作品だけじゃないかと思います。と、他の本の感想文でも書いていたらわたしは大嘘つきですね。でもたぶん、他にはなかったと思います。今読んでもまた泣いてしまいました。


この小説を読んで以来「忠臣蔵」に興味を持って、他にもいくつか「忠臣蔵」を題材にした小説を読んだのですが、わたしが本当におもしろかったのは、森村誠一さんのこの『忠臣蔵』だけでした。そして、森村誠一さんの他の作品もいくつか読んだけれど、わたしが本当におもしろかったのは『忠臣蔵』だけでした。のちに著者は同じ時代小説という分野で『新撰組』も書いているのだけれど、『新撰組』の感想はもう思い出すことができません。でも『忠臣蔵』は大学生の時からずっと好きです。


ポール・オースターが好きだと言い、夏目漱石がすばらしいと言い、他にもああだこうだといろんなことを言ってきた中で、「『忠臣蔵』が好き」というのは、わたしとしては突飛なように思えます。『忠臣蔵』には他の好きな作品・作家との共通点やつながりもないように思えます。全然シンプルじゃないし、スマートじゃないし、日本語の文章が研ぎ澄まされているわけでもないし、わたしが好きだという小説の美しさとも縁遠いように思います。もし美しさがあるとしてもそれはまったく違った種類の(対極と言ってもいいかもしれないくらいの)美しさです。でもこの作品はなぜか大好きなんです。


忠臣蔵の話をご存知でしょうか。吉良上野介にバカにされて怒った浅野内匠頭が、江戸城内での大事な儀式の最中に吉良に切りかかったために、幕府から即日切腹の裁きを受け、赤穂藩は取り潰し、家臣は失職離散となります。ところが一方の吉良はまったくのお咎めなし。内匠頭の無念をはらそうと家臣47人が吉良邸に討ち入って首をとる、という乱暴な話です。眺める角度によっては、出来の悪い上司を持つと部下が苦労する話、とも言えると思います。こんなこと言うと身も蓋もないけれど、でもあながち間違った見方でもないと思います。


忠臣蔵がドラマチックに語り継がれる要因のひとつとして、幕府の裁決があってから討ち入りまでおよそ1年9ヶ月の期間があることが挙げられると思います。松の廊下の刃傷事件、吉良邸への討ち入りの場面はもちろん飾り立てやすいですが、その間の家臣たちのドラマほどに観客の心を揺さぶることはないのではないかという気がします。家臣たちの1年9ヶ月。そこを森村誠一忠臣蔵』は、見事に読ませてくれます。実在の人物も、作者が生み出した架空の人物も、史実も想像も、入り混じって、絡み合って、ついにはそこにあった光景として読ませてくれます。泣かずにいられないです、わたし。



夏目漱石は言葉には知性があることを教えてくれました。
ポール・オースターは小説が表現できる物語性を教えてくれました。
森村誠一忠臣蔵』は、わたしに文章を書きたいと思わせてくれました。



人から譲っていただいたこの本はだいぶボロボロになってきたので、新品を買いたいと思う今日この頃です。



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