『モルグ街の殺人事件』ポー 訳:佐々木直次郎


史上初の推理小説とされる『モルグ街の殺人事件』を表題とした5作品の短編集。


以下、事件の解答について触れるのでご注意ください。



『モルグ街の殺人事件』
素人探偵、オーギュスト・デュパンの登場です。どこからどうみてもシャーロック・ホームズの元型ですよね。シャーロック・ホームズが登場したとき、なんだオーギュスト・デュパンの真似じゃないか、という批判はなかったのでしょうか。もちろんそうはいってもホームズのほうがキャラクターの造り方がよりしっかりしているので、そのことの評価のほうが上回ったかもしれないですね。

今までに読んだ高い評価を受けているいくつかの推理小説と等しくならべてみても上質だなぁと思うのに、これが初の推理小説なのだと言われると、空恐ろしいものがあります。
探偵役のデュパンが事件関係者・目撃者の証言をひとつひとつ検討・取捨し、推理を進めて真実へと近づいていくという手法。その近づいていく過程は、ホームズのそれよりも綿密に語られているように思います。だからデュパンの魅力というのは、デュパンその人よりも、デュパンの語るその分析力にあるのだろうという気がします。ホームズのほうが分析力が劣っていると言いたいわけではないけれど(分析力についての優劣はわたしにはわからないので)、デュパンと比較した場合には、わたしにとってのホームズの魅力は分析力よりホームズ自身にありそうです。



『落穴と振子』
25ページくらいの分量しかない作品。5つの短編の中で、わたしとしては、一番よくできていると思います。三島由紀夫もポーの影響を受けた作家のひとりなのではないかと感じた一編です。



『マリー・ロジェエの怪事件』
西村孝次さんの解説では「かれデュパンは謎への挑戦に推理の大半を空費し、またその分量からいっても、われわれの注意をとらえつづけるにはあまりにも長すぎ、あまりにもこみいりすぎている。」とあって、たしかにそういう印象を受ける作品なのだけれど、ただわたし自身は、デュパンの推理にその長い分量の間ずっと惹きつけられていたので、楽しんで読んではいたのです。「謎への挑戦」が「空費」となってしまったのは、その推理の進行ではなく、解決(結末)に因っているように思えるので、最後もうちょっとがんばって書いてくれたらよかったのに、という気がします。



『早すぎる埋葬』
最後の6行に書かれた内容の意味を汲み上げることができないのが残念です。その前の行までの作品だったら、わたしとしてはすっきりしたんだけれど。なんの含蓄なのかご存知の方いましたら教えてください。



『盗まれた手紙』
5編の中で唯一恐怖を感じない作品です。その愉しさはホームズを読んでいるときのどこかで感じた愉しさと同じだったことを思い出させます。
盗まれた手紙をその分析力で見事に見つけ出したデュパンは、代わりに別の手紙を同じ場所に置いてきます。デュパン自身「手紙を盗んだ犯人がその代わりに置いてきた手紙をあけてみたときに、彼がどう思うかということをはっきり知りたくてたまらない」と言っていますが、その手紙を見たときの犯人の憤怒の表情を、すでに読者はデュパンと一緒に愉しむことができます。



読み終わったあとで、作家ポーについて「酒と麻薬で乱れた生活を送っていた」という表記を目にしました。でも作品を読む限り、そんな臭いをわたしはどこからも感じることができませんでした。しかしそうであってみるならば、分析的な文章を書くということは、彼の乱れた頭の中に、懸命に区画を引く役を担っていたのかもしれないなと思いました。