『レ・ミゼラブル』ユゴー 訳:佐藤朔


再読でした。が、うるうるしながら読みました。


大作である、ということだけでもわたしはいくらかおごそかな気分にさせられるのですが、この小説には大作であるという以上の、あるいは以外の、「大きさ」があって、わたしは読んでいる間ずっと、その大きさに気圧されていたような気がします。


読み終わってその大きさの正体を考えてみても、はっきりしたことはわからないのだけれど、ただ、時代を観察し、フランスを眺め、パリを描き、社会の欠陥を暴き、そこに生きる人々の姿を見守った作者ユゴーが、時代よりも人々を「大きく」書いたことが、わたしを圧倒したのかもしれません。みな多かれ少なかれ社会の犠牲となりながら、しかし彼らの行動を決定しているのは、常に彼らの信じるものや、愛する人でした。ユゴーは憐れな人々が時代や社会に翻弄される様子を書いたのではなく、彼らを翻弄しているものよりももっと強く偉大なものを書いたのだと思います。


フランスを愛し、パリを愛し、そこに生きる人々を愛したユゴーは、社会のいたるところに闇がひそんでいるように、同じくらい多くの光がいたるところにあって、闇と戦っているということを、書きたかったのではないか。ということを、この作品を読むと思います。