『シティ・オヴ・グラス』ポール・オースター 訳:山本楡美子・郷原宏


家庭内読書会「古典的名作を読もう」企画、第13回課題本です。過去12回の間にも「古典」ではない作品があったように思いますが、もうあまり気にしないので、みなさんも気にしないでください。


現代作家の中でわたしがいちばん好きなポール・オースターのデビュー作です。(『孤独の発明』は本作品より前に著されているけれど、あまり小説的でないためか、位置づけとしてはこちらがデビュー作のようです。)柴田元幸さんの訳がないこともあって、後回しになっていました。わたしだけでなく、多くの日本人の(あるいはすべての日本人の)オースターファンにとって、彼の作品はもはや柴田元幸さん訳とセットではないでしょうか。


とはいえ、わたしには翻訳の巧拙はわかりません。英語であろうとナントカ語であろうと、日本語以外の言語がわからないわたしは、海外文学はすべて訳本で読むことになるけれど、その中で「この訳は下手だなぁ」と思ったことはありません。下手かどうかなんてわからない、と思っています。だって原文が下手なのかもしれないじゃないですか。原文が下手でも訳がうまければ「うまくなる」ものなのか、仮に「うまくなる」として、だからといってそんなことしてしまって(訳のほうが良質な作品になってしまって)いいものなのかどうか、あるいは「翻訳とはそういうことではないんだよ、キミ。」と言われてしまうようなことなのかどうか。そのあたりの事情がよくわからないので、訳について言えることはなにもないと常々思っています。それでも、それなのに、柴田元幸さんの訳は「うまい」と思ってしまいます。でも正確には「訳がうまい」かどうかはやっぱりわからなくて、そこに書かれた「日本語がうまい」ということなのだけれど。



オースターの作品には「謎解き」の要素が含まれることが多いけれど、中でも本作はミステリー性が強いように思います。といって、すべてが解かれないまま終わっちゃうのはいつも通りなんだけどさ。


『ムーン・パレス』以降の作品と比較すると、作者の物語に対する確信のようなものがもうひとつ感じにくいのですが、わたしとしては、ここからポール・オースターが始まったのだと思うと感慨深く、作品の良し悪しや好き嫌いをあまり感じることができませんでした。