『冷たい密室と博士たち』森博嗣


この作品を手にしたときはワクワクしませんでしたが、感想文を書くのはなんだかワクワクします。

家庭内読書会、第20回課題本です。

もともと「古典的名作を読もう」という企画で始めた読書会でしたが、このまま通し番号で進めて参ります。第20回目の今回から「森博嗣を読もう」企画です。

とわたしは思ったのに、家庭内で反対されました。なのであらため、

家庭内読書会「森博嗣完全読破」企画、第二回課題本。です。

森博嗣を好きな人、本当に多いですよね。本当に多いと言いながらも、わたしは二人しか知りません。その二人が森博嗣を敬愛しているために、というか、わたしの目には「傾愛」に映るために、その傾斜ぶりを見ていると「ああ、こういう人が世の中のあちこちにいるんだろうなぁ」と思うわけです。ある嗜好を有する人たちの、ある感覚にヒットしている、そういう傾斜ぶり。そしてそういう作家である森博嗣

森博嗣の作品をわたしはほとんど読んだことがない(一冊しか読んだことがない)と思っていたのですが、少なくとも4冊は読んでいたようで、そのときの感想に「森博嗣の作品はたぶん好きじゃないけれど、森博嗣のことはたぶん嫌いじゃない」と書いています。なるほど、2年ぶりに5冊目を読んだ今もわたしはまったく同じことを思っています。あ、でもちょっと変えようかな。森博嗣の作品はたぶん「わたしのタイプじゃない」。

でもね「わたしはこういう小説が好き」っていうのも、もしかしたらただの思い込みなのかもしれません。「こういう小説が好き」って思って読むから、「こういう小説」じゃなかった作品を「好きじゃない」と思うだけなんじゃないか、と。「こういう小説」であることを求めずに読めば、もっと自由な「好き」が待っているかもしれません。

「こういう小説」であることを求めずに読んでみる。そしたら、「ああ、なるほどね。けっこう好きかも」って思えるんじゃないか。そういう可能性を感じました。感想文書くのにワクワクしたのは、たぶんそのせいです。



そうそう。ここの感想文ではよくあることですが、物語のことを何も書かなかったので、最後にちょっと言及しておきます。

事件解決に行き着くまで、ほとんど事象の説明だったので、わたしはつまらなくて、はいはいと思いながら、ぱっぱとページを進めてしまったのですが、最後、探偵役の主人公の推理を読むにいたり、もうちょっとちゃんと読んでわたしも推理すればよかった、と後悔しました。別に犯人も誰でもよかったし、動機もどうでもよかったし、トリックもなんでもよかったのだけど、いっこだけ、自分で気がつきたかったと思える「些事」があったのです。ちきしょ。

それと一箇所、とても腹を立てたシーンがあったのでそのことも書いておきます。

探偵役をしている主人公のひとりが愛知県警の本部長の姪、という設定なのですが、事件の捜査報告書を見せてほしいと叔父に頼みに行く場面があります。当然、本部長は断ります。

「(省略)報告書には、君のごく身近の、善良な人たちの、普段は絶対に目に触れないような醜い傷が集められているかもしれない。それは事件には何の関係もないのにだ。誰でも、触れられたくない、ちょっとした傷を持っている。警察はそれを調べ上げる。でも、私はね、君にはそんな低俗なことを知ってほしくないし、そんな目で他人を見る人物にもなってほしくないんだ」

警察の本部長として、大人として、叔父として、とてもいい回答だとわたしは思います。それに対して、彼女はこう言います。

「叔父様は、私を子供扱いしています」「第一に……、低俗で汚い人間関係に驚いて、ものの見方が変わるほど、私は子供ではありません。そんな人間になってほしくない、なんて言い方は、私の人格の独立に対して失礼です。第二に……、自分側の都合を通すのに、君のためだ、なんて言い方は、大変卑怯ですし、相手の知性を見下げた言い方だと思います」

わたしは「その言い分が子供だ」と思ったので、このあと本部長がなんと言って彼女を突っぱねるか、その言葉に期待したのですが、「そうだ、君の言ったとおりだ。このとおり、さっきの発言は撤回する」と、両手をテーブルにつけて、あっさり頭を下げてしまいます。そして報告書を貸す「取引」をし、彼女に渡してしまいます。


こういうところがね、タイプじゃないんですよ。