『詩的私的ジャック』森博嗣


おひさしぶりです。こんにちは。第五回目の課題本を読み終わって、第四回目の課題本の感想文を書いていなかったことを知りました。


家庭内読書会「森博嗣完全読破」企画、第四回課題本。です。残念ながら、つまらなかったということしか覚えていないのですが。


焦点の定まらない作品だと思うのです。密室殺人事件があって、「How」よりも「Why」がポイントだと犀川先生は言います。「どのようにして密室を作ったか」ではなく「なぜ密室を作ったのか」が重要だと。なるほど、それは真理を突いた魅力的な命題だし、その「解」も、これまでの作品と同様、鮮やかでした。ファンの期待に応え得る「森博嗣節」と言ってよいのではないかと思います。


でも「なぜ密室を作ったのか」には答えていても、「なぜ殺人を犯したのか」についての解答には「手を抜いている」とわたしは思う。筆者は、この問いに対し、主人公の言葉で「僕には想像もできません」と答えるのです。「他人に説明できて、理解してもらえるくらいなら、人を殺したりしない、そうではありませんか?」と。ミステリーを読んで、それ以上につまらない答えってないと思うんだけど、わたし。


もちろんミステリー作品の中には、トリックの鮮やかさを魅せるために書かれたものもあって、そういうトリック先行型の作品は、書くほうも読むほうもそれだけを楽しめばいいけれど、でもそういう作品は、不用意に殺人犯や周辺人物の精神にはもぐりこまないものです。すくなくともわたしはそう思っています。あくまでトリックに「焦点」が絞られ、絞られた点にスポットが当てられるのです。でもこの作品は自らすすんで犯人や周辺人物たちの深層心理にもぐりこんでいこうとしています。「僕には想像もできない」ような、「他人に説明できて、理解してもらえるくらいなら、人を殺したりしない」ような暗い心理があると言及していること自体がすでに、もぐりこんでいるのです。そこまでもぐりこむのだったら、もぐりこんだ責任を言葉で果してほしいと、読者のわたしは思うのです。


そして「僕には想像もできません」と言った犀川先生は、犯人の殺人動機を「もう一度、真っ白なノートが欲しかった」という「解」で結論します。真っ白なノートが欲しくて人を殺す心理を「解」とするほどもぐりこんでいるなら、もっとがんばって言葉にしてほしい。「人間はクリスタルではない」とか、かっこつけてるだけで、かっこよくないし。