『こころ』夏目漱石


すばらしい小説が深い悲しみを読者にもたらすことはあると思います。わたしにも過去にそういう読書体験はありました。ひとつひとつをはっきりと覚えているわけではないけれど、あまりに悲しくて読んだことを後悔するような。そういう悲しみの物語を書いた作者に腹を立てるような。
そういうことは一度ならずありました。


でも、この感情はどういえばいいのか戸惑ってしまいます。


主人公がある夏の海で偶然知り合った先生、その先生と主人公との親交、そして後半で明らかにされる先生の過去。先生の過去は「遺書」という形で著され、じつにこの作品の半分を占めています。この長い長い「遺書」を、読者は主人公とともに読むことになります。
先生が長年、自らの内だけに閉ざしてきた事実は、安易に言ってしまえば「恋のために親友Kを裏切り、結果的に彼を自殺に追いやった」ことです。


その構図はめずらしくもありませんが、しかしかつて感じたことのない寂寥がこの物語にはあります。深く暗い痛ましさ、とでもいえばいいでしょうか。


Kを裏切った「先生」の心のあり様は、わかるようでもあるし、理解に難しいところもあります。自殺したKの心も同じように、わかるようでもあるし、やはり行き過ぎという感も持たなくはありません。

わかるようでもあるし、わからないようでもある。

そういうふたりに感情移入がしにくいのは当然ですが、読者としての感情移入がうまくいかなかったのに、わたしはこの物語を読んでひどく悲しいと思うのです。Kを自殺に追いやったその罪悪感に苦しむ「先生」が可哀想で悲しいし、親友に裏切られた孤独を抱えて死んだ「K」が可哀想で悲しいのです。ふたりに対して、それぞれの言動に反発のようなものを覚えはするものの、それでも、もうどうしようもない、どうすることもできない、切なさといたたまれなさに、胸が痛みます。


涙は出ないけれど呼吸に苦しさを覚えるのは、たぶんこの小説が、物語にできる希望のひとつを放棄して、かわりに、どうすることもできない「孤独」を、そっとわたしの前に広げて見せたからなのだろうと思います。