『金閣寺』三島由紀夫

W杯観戦に明け暮れて、朝の読書習慣をたやすくふいにしたわたし。1時からの試合と5時からの試合と、うー。どっちを見るべきか。ってね。でももうそんな悩みは終わって、あとはすべての試合を見ればいいだけの日程になって参りました。おもしろいよね、サッカー。


そして、この『金閣寺』のおもしろさも負けてなかった。はちゃめちゃにおもしろかった。


でもそれは、サッカーのおもしろさとは無縁のもので。サッカーの試合のおもしろさは、誰かにしゃべりたくて仕方ないじゃないですか。誰かとその気持ちを共有したいじゃないですか。ドイツの強さといったらもう。メッシのドリブルの巧さといったらもう。ベスト8を賭けた戦いのひたむきさといったらもう。メキシコの敗戦の悔しさといったらもう(わたしはメキシコを応援していたのです!)。というような。味わった興奮すべてを声に出して、身体で表現して、誰かに言いたいっ!!となるそのおもしろさとは似ても似つかないものでした。


誰にも言いたくはないのです。


たとえば、初めて眉毛を剃ってみるときのたのしさとか、手首にナイフをあてて血を流してみるときのたのしさとか、あやしいビデオに手を伸ばしてみるときのたのしさとか。そういう類のおもしろさのように思います。読書ですから、いけないことなどひとつもないのだけど、この作品を楽しむことはなぜだかうしろめたい感じがする、そういうおもしろさ。


だからあんまり言いたくないんだけど、すごくおもしろかった。