『夜はやさし』F.スコット・フィッツジェラルド


素晴らしい小説だ、と思うのと同時に、わたしはまだこの小説の魅力を十分に堪能できていないのだということがわかる読書体験もけっこうたくさんあって、『夜はやさし』も、数多くあるそういう小説のひとつでした。読書の技量不足もありますが、長編小説の読書の場合には、たいてい体力不足感じます。集中力と言い換えてもいいのかもしれないけれど、最後までもたないんですよね、物語に向うエネルギーが。

もちろん読者を飽きさせないこと、物語へのエネルギーを維持させ続けることも作品が持ちうる役割のひとつですから、作品の側にその力が足りないのだと言ってしまうこともできるのだけれど、でもそれとはやっぱりちょっと違うんですよね。魅力はあるんです、常に。深い深い海の底の神秘のように。でも、読者であるわたしの息が続かない。海底の神秘はそうたやすく把握できるものではないのに、永遠とも思えるようなその深海を泳ぎ続ける忍耐がないために、わかりやすいものを求めて、ついつい水面まで上がってきてしまう。


そういう小説を、わたしは前回読んだときよりも格段におもしろいと思うことができました。すごくワクワクしたし、ドキドキしたし、なにより、前に読んだときよりもはるかに「近づいた」と思うことができました。物語と自分との距離がここまで縮まったことには素直に喜びを感じます。ああ、こんなに近い距離でわたしはこの物語を手にすることができている、うれしー。と。

歳をとることに、だんだんと抵抗もでてきたけれど(33歳になりました)、この物語との距離が縮まるためには、年齢を重ねることも必要だったように思うから、歳をとることができてよかったです。そして、これからもまだまだ、前向きに歳をとろうと思います。だって、前よりも格段におもしろかったけれど、それでもまだ、この先があると思えるから。わたしはまだまだまだまだ、この小説を堪能しきれていない。そう思うから。



追記
これはわたしが今まで読んだ中で最高の小説かもしれない。そう思ったけれど、上に書いたように最後まで息が続かなかったし、この小説と同じように、素晴らしいと思ったけれど堪能しきれていない小説が他にもたくさんあるので、「最高の小説」は、先の楽しみにとっておきます。