『バイバイ、エンジェル』笠井潔

朝の読書習慣2015の2

バイバイ、エンジェル (創元推理文庫)

バイバイ、エンジェル (創元推理文庫)

ライトノベルのようなタイトル(に、わたしには思える)に、あまり多くを期待していなかったのですが、思いもよらない内容で驚いてしまいました。大変に重厚な作品です。

語り手を務めるのは大学生のナディア。ナディアの級友のもとに、一通の手紙が届きます。なにかの復讐をほのめかすような、あまり穏やかではない内容の手紙です。その手紙がスタート地点となって、物語は進行します。


主要な事件はふたつ。


ひとつめはアパートの一室で発見された、血の海に横たわる首なし死体。
もうひとつは、ホテルの部屋の爆破による殺人事件。


語り手はナディアですが、事件の謎を解くのは同じ学校に通う矢吹駆(ヤブキ カケル)という名の日本人です。矢吹駆は、たとえばシャーロック・ホームズのように、たとえば御手洗潔のように、見ていて楽しい気持ちになるような人柄では一切ありません。それこそ死体と一緒にいるのが似合いそうな、いつも死神と対話をしているような、暗澹とした雰囲気の人物です。
自らへの問いかけに対しては、真摯に言葉を紡いで説明をしますが、基本的には無口で、冷ややかです。冗談も言わないし、なにより笑顔がありません。そういう人物が物語の終盤、解決編において実に雄弁に、そして苛烈に、犯罪者の過ちを責め、犯人と対峙する場面は圧巻でした。その激しさに置いてけぼりにされそうになりながらも、だからこそ、この灼けつくような批判の拠って立つ、矢吹駆の信じる真実がとても力強く、頼もしかったです。

頭の中だけで考えに考え抜いた理論が、誰かがパンひとつ手に入れるためにした努力や経験から得た真実の前にひれ伏すことになるのは、人々の日々の営みの勝利なのだと思います。そういうことがいいたい話ではないのかもしれないけれど。


現象学、観念、革命、国家と人民、叛乱、救済、等々、頭でっかちな単語が飛び交うやりとりが所々にあって、まさにそこが読みどころでもあります。ミステリー作品の中でこんな大きなテーマに首をつっこんで、一緒になって考え、わずかながらでもその問題に挑めるのは稀有な体験で、とても楽しかったです。そして、この作品のよりすごいなと思うところは、それがなくても、大変楽しめるということです。事件そのものの謎と解だけでも、抜群でした。特に、首なし死体の「首を切った理由」、ね。
少し前に読んだ森博嗣の『数奇にして模型』でも、首なし死体の「首を切った理由」にわたしは感激していたのだけれど、あの感激がまた別の形でやってきました。そこには戦慄とともに興奮がありました。


犯人にとってはおそらく、ただひたすらに醜い首だったのだと思います。