『獄門島』横溝正史


朝の読書習慣2015の5

獄門島 (角川文庫)

獄門島 (角川文庫)


どのあたりの魅力を語ればいいだろう。金田一耕介、その人のキャラクターだろうか。横溝正史の描くおどろおどろしさだろうか。田舎の封建的な風土、事件のからくり、登場人物それぞれのあやしさ、でしょうか。


この作品に限らないと思うのですが、横溝正史のミステリーに出てくる登場人物はあやしい、ですよね。出てくる人出てくる人、みんなあやしい。だれもかれも「こいつが犯人じゃなかろうか」と疑えてしまうというだけでなく、だれもかれも「次はこいつが殺されるんじゃなかろうか」とも疑えてしまう。そういうあやしさが、事件の関係者それぞれに漂っている。
それは、登場人物のひとりひとりに殺人の動機や殺害される要因が何かしら与えられているから、とも思えるけれど、でもそれよりも、彼らがみな一様に、どこかおびえているように見えるからではないか、とも思えます。身を縮めている者だけでなく、高飛車な態度の者も、横柄な物言いをする者も、諦観の様子を見せている者も、飄々としている者も、「彼ら」に対しておびえている。
その見せ方が上手なのですね、きっと。そう見せようとは思っていないのかもしれませんが、でも横溝正史が書けば、そう見えます。わたしだけじゃないと思う。


「獄門島」と渾名される離れ小島に、戦友の死を告げに行く金田一耕介。しかし、金田一耕介がその島に向かうのには、別の理由もありました。それは、その友人には、月代、雪枝、花子、という三人の妹がいるのですが、彼が今わの際に「自分が生きて帰らないと、三人の妹が殺されてしまう。金田一君、おれの代わりに獄門島へ行ってくれ。」そう言い遺したからです。


かくして、三人の妹たちは殺されてしまいます。それぞれの「絵姿」で。


犯人が誰なのか、もちろんそれを知りたくて読むのですが、どうしてその姿で殺されなければならなかったのか、そちらのほうが気になりました。これはね、理由を知って「なるほど!そういうことか!!」とはたぶん、ほとんどの読者はならないと思うのだけれど(なるかな)、でも、その姿で殺されたということが、このミステリーの全体を引っ張り上げているので、そのことが、さすがだなぁと思います。


ところで、わたしのおぼろげな記憶に「古今東西の名探偵の防御率ランキング」で、断トツ最下位になっていた日本人名探偵がいたはずなのですが、この小説を読んでいて、それはきっとこの男、金田一耕介だったんじゃないか、と半ば確信しています。三人の妹が殺されてしまうと絶命寸前の戦友から遺言されて訪ねて行ったくせにね。なんてありさま。