『鉄鼠の檻』京極夏彦

朝の読書習慣2015の14

文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)

文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)

たくさんの登場人物を把握するのが苦手です。本を読んでいれば、そういうことも訓練されていくのかと思いきや、わたしはいっこうに改善されない。この作品でいえば、京極堂と榎木津の区別はつくけれど、関口君と今川君はつかない。鳥口君と関口君もつかない。今川君と鳥口君はなんとなくわかるけれど、鳥口君ではない人が今川君かな、みたいな感覚だから、それは関口君かもしれないのです。

主要な登場人物でこの有様だから、やたらめったら出てくる坊主にいたっては、てんでわからない。了稔、泰全、常信、祐賢、覚丹、慈行、などなど、どのお坊さんも明確なキャラクターを与えられて登場するのだけれど、区別できない。殺されたのがどのお坊さんだったかもわからない。あれ、この人さっき死んでなかったっけ、などと。

何人かのお坊さんが殺されます。殺され方が特徴的なので、犯行の動機についても様々な憶測がなされます。でも誰を犯人だと仮定しても、また、どんな動機を推測してみても、それらは整合性がとれず不自然で、事件解決はなかなか前に進みません。役に立たない刑事たちと、思慮分別のある脇役たちとで真相に近づこうとしますが、そこはやはり、主人公に解いてもらうしかありません。京極堂の出番とあいなるわけです。

なかなか前に進んでいかない分、長編になっています。登場人物は正確に把握できませんでしたが、とてもおもしろく読めました。把握していたら3倍は楽しくなっただろうと思うと勿体ないです。ところで、そんないい加減な把握しかできないわたしにとっても、榎木津の存在感は抜群でした。彼だけは、わかります。誰にだって、わかります。榎木津すごい。


さて、少し別のことを書きます。


物語の中で、ある昔の事件の真相が明らかにされるシーンがあります。当時13歳だった彼女は手紙を預かったのです。手紙を渡した同級生の友人は、彼女を信頼していました。彼女なら勝手に読んだり、他人に渡したりはしないと。ところが彼女は、託されたその手紙の宛名書きを見て、ある予感を抱きます。宛名は、手紙を託した同級生の兄の名前でした。実の兄への手紙が、兄さんでも、兄様でも、兄上でもなく、名前で書かれてある。彼女は手紙を開封し、読んでしまいます。


それは結果的に、とても悲惨な事件へとつながってしまいます。


彼女は13年前の真相を語りました。わたしは真実が語られることについて彼女の潔さを認めましたが、と同時に、彼女は自らの罪をそれほど責められるべき罪とは考えていないかもしれないとも思いました。彼女の罪と、兄妹の罪は、彼女にとっては天秤の右左で釣り合っているのかもしれないと。なぜなら、自分さえ口を閉ざしてしまえば永遠に誰にも知られることのない罪を、本当に残酷で醜いと思っていたならば、どうして告白する必要があるでしょうか。そんな勇気を人はたやすく手にいれることができるでしょうか。彼女が明かしたかった真相は、彼女の罪ではなく、兄妹の罪だったのではないか。そんなふうにも思えました。


わたしが彼女なら、兄妹の受けた報いは仕方なかったように感じるかもしれません。わたしが手紙を託した妹だったなら、彼女のしたことはきっと許さないでしょう。


天秤の右左に罪を乗せても、傾けるのはたぶんいつも人間ですね。