<館月間>『翼ある闇』

月が変わってしまいましたが館月間、最終です。麻耶雄嵩の『翼ある闇』。現代ミステリー作家の中でも稀有の才能の持ち主だと教わりました。


いやあ、すごかった。誰が犯人なのかを追うことよりも、事件そのものがわたしには魅力的でした。連続して見つかる惨殺死体はまさに惨殺死体なのですが、どこか絵画的です。不謹慎でしょうか。まあ、いいよね。首がない、とか、足がない、とか、体が切断された死体を出現させる話はこれまでにもいくつか読んでいるけれど、そしてそのたびに気持ち悪いと思ったけれど、この作品については、どちらかというと、きれいだと思いました。やはり不謹慎でしょうか。まあ、いいよね。


それはきっと、死体や死体の一部についての描き方ではなくて、その死体を見ている人、つまりは物語の語り手である私、香月実朝(あるいは著者と言ってもいいかもしれません)の視線に因るのだと思います。実朝自身もその死体を見ているけれど(見ていない状況もあったかもしれませんが、あまりにたくさんの人が殺されてしまったので、ひとつひとつ覚えていません)、自身が見たものを語るというよりは、探偵役の木更津が見ているものを実朝のフィルターを通すことで、事実を実朝の視線に傾斜させる語り口であるように思います。実朝の視線に傾斜して描かれた惨殺死体は気持ち悪くありませんでした。そして実朝のこの語り口は、最後の事実解明にあたって、実に効果的な役割を果たしたのではないかと思います。結果的にではなく、その効果のことまで計算にいれてこの語り口を著者が選んだのだとしたら、著者こそが真犯人だとわたしには思えます。


物語として、だいぶリズミカルな連続殺人でした。と思うことが初めてだったことが、たぶん、冒頭の「すごかった」という感想にいたる理由です。


殺人犯をわたしは当てることに成功したけれど、文学犯にはあっさり捕らえられました。








ところで、どうでもいいことかもしれないけれど、『翼ある闇』というタイトルが、なんで翼ある闇なのか、さっぱりわかりません。同じように、なんで<館月間>なのに『翼ある闇』を読んだのかも、もはやよくわかりません。



以上、館月間でした。