『姑獲鳥の夏』京極夏彦


わたしは現代作家の小説をあまり好んで読みません。きっとおもしろくない、と思っているからです。もっと正確には、わたしが小説に求めるものはおそらくないだろう、と思っているからです。



わたしにはとっても好きな人がいます。その人がミステリー小説(特に現代作家)をこよなく愛しています。



そういうわけで、現代作家が書くミステリーにわたしの求めるものはたぶん期待できないのですが、わたしのとっても好きな人が小説に求めているものを知りたいので、読んでみようと決意いたしました。



ミステリー年間です。100冊選んでもらったので、100冊読みます。



初の京極夏彦です。そういえば以前バイト先で一緒に働いていたじゃがまん(本名:じゃがいもまんじゅうの蟹あんかけ)ちゃんが、京極夏彦の大ファンだったことを思い出します。表紙が気持ち悪いと周りの人間にさんざん批判されていたのを、懸命におもしろいのだと訴えていた姿が、今も鮮やかに蘇ります。じゃがまんちゃん、元気かしら。じゃがまんちゃんが好きな京極夏彦、わたしやっと読みました。



一番好きなのは、冒頭です、古本屋さんでずらずらとうんちくを並べるシーン。うんちくはともかく、古本屋さんのセピア色がかった配色を感じるこのシーンは、本が好きな人にとっては、少なからず、心躍るシーンではないかと思うのですが、そうでもない?



とてもおもしろかったけれど、わたしには突飛過ぎるという印象のほうが強いです。ミステリーというよりか、片足半分くらいはファンタジーじゃないか、という感想を飲みこみ切れません。そういうものだと思えば、そういう楽しみ方もできると思うけれど、それにはもう少しミステリー全体を読み慣れないと、という気がします。



ちなみに、わたしは手紙を受け取ったのは絶対に涼子さんに違いないと、最初の最初から思っていました。どうして涼子さんが梗子さんのフリをして受け取ったのか、その理由が知りたくて、ずっとその解答が出てくるのを待ちながら読んでいました。



このミステリーの他のどの奇想天外な部分よりも、わたしにはこの解答が一番納得いきません。



字が似ていたとしても、
それを受け取ったのが幼き頃でも、



自分の名前は絶対に見間違えないと思う。