『女神』三島由紀夫

同じ職場で働いている二つ年下の女の子が、この『女神』を、三島由紀夫の作品の中で一番好きだと言っていました。それだけだったら、読むのはもう少し先になったかもしれないのですが、彼女は続けました。「その作品に出てくる主人公の女の人が、ちょうどuubさんのイメージです。前からずっとそう思っていたんです。」と。


それで、いちもにもなく読み始めたのです。


朝子という名のこの主人公とわたしのイメージが似ているかどうかは、他人の意見に委ねるとして、また、わたしのことを朝子のイメージだと言ったふたつ年下の彼女の言が褒め言葉だったのかどうかも、他人の判断に任せるとして、わたし自身は「『uubさんのイメージです』と言われてわたしがイメージした女性像」と朝子は、全然似ていなかったということだけお伝えしておきたいと思います。


物語の大筋は、偏執的な美意識を持った父親に育てられた娘(朝子)の、美への従順な学習の跡を描いたもの、とわたしは思うのですが、どうでしょうか。


この父親の偏執的な美意識が端的に現れている箇所を以下に引用したいと思います。

彼は妻の散歩服の注文に当っても、朝の樹の色と、暮れがたの樹の色までも考えにいれた意見をのべた。女の服飾は、空の色、海の色、夕焼けの色、あけぼのの雲の濃淡、池の反映、樹木、建物、部屋の配色、一日のうちのあらゆる時間、光線、会合の雰囲気、すべてのものと調和や対照を保っていなければならなかった。


だいぶ厳しいけれど、こういう教育なら受けてみたかったと思います。こういう美しさなら手に入れてみたかったと思います。このお父さんはちょっと大袈裟かもしれないけれど、でも風景とともに女性の美しさを愛でることができる男性はいいなぁと思います。