『uubの冒険』

わたしの冒険日記です。いままではずっと『uubの小屋』というタイトルでgooブログを利用していたのですが、先日、この小屋を閉じて、はてなダイアリーにて『uubの冒険』を始めました。




今年の初めの頃、この本棚にこんなことを書きました。


「現実の中で物語を生きるのではなくて、現実の中にある物語を生きてみたい」と。


読書好きな人の中には、読書が「現実逃避」になっている人がいると聞きます。それはなんとなくわかるのですが、わたしには読書をしていて「現実から物語の中へ逃避している」という感覚はあまりありません。物語の中にはいつも現実があると思うし、そもそもそういう読み方をしているように思います。どんな物語でも、わたしはその中に自分の現実を探していると思います。そしてわたしにとってはそれが物語の役目のひとつとなっているように思います(ただし、物語の中に一般の現実が描かれるのは好きじゃありません。内容によっては嫌いです)。


だからかどうかわかりませんが、わたしは物語を読むと、どちらかというと現実の中に物語がすべりこんできます。日常の中に、物語をすべりこませてしまいます。そんなことしても経験的にあまりいいことはないのですが、無意識的なことなので、いかんともできません(意識的に物語を取り込んでいるうちは、その行為は楽しめます)。読書をしている間ではなく、読書をしていない時間に現実を見ていないということになるので、要するに、常に現実逃避をしている(しようとしている)ということです。あまりいいことはないに決まっています。でもわたしは、そういうふうに現実と付き合ってきました。


それを変えたいのです。今ここでわたしが何を言っているかさっぱり意味がわからないかもしれませんが、わたしは今、とても苦しいのです。現実の中に物語を持ち込むことは、今まではわたしの助けとなってくれましたが、今はもう逆転してしまいました。現実の中に物語を持ち込むことで得る幸福よりも、苦痛のほうが大きくなってきました。わたしはもう現実の中に物語を持ち込むことで自分を守ることの限界に到着してしまいました。そしてわたしはこのことをもって、自分は成長したのだと言いたいと思います。


わたしはよく人の口から発せられる「成長」という言葉にいつも違和感を感じていました。「成長」がなんなのか、自分でよくわからないのです。だから自分ではあまり口にしたことがありません。技術が身につくこと、精神力が強くなること、感情をコントロールできるようになること、いろいろあるのだろうけれど、わたしはわたしがどうなったら「成長」したことになるのか、全然わかりませんでした。人に「成長したな」と言われても、だから真に嬉しくはならなかった。でも今、この地点=「現実の中に物語を持ち込むことで自分を守ることの限界」に到着をしたことを指して、わたしは自分が成長したのだと言いたいと思います。ここからきちんと、わたしは変わらないといけない。


現実の中にある物語を見つける冒険です。長くなりそうだけれど、がんばります。