ワトスン君、夕やけが美しいね。

u-book2009-03-22



ホームズシリーズ長編の3作目。古典というのはやはりすばらしいものです。すばらしいから古典になり得たのだということがよくわかります。100年以上も読み継がれる本には、やはりそれだけの価値があります。普遍性があります。あーすばらしい。


コナン・ドイル作品に対する社会的な、あるいは文学的な評価というのをわたしはまったく知らないのですが、3作読んで、3作とも、わたしが楽しめたのはそのミステリー性に対してではありませんでした。読んでいても、犯人が誰でどんな方法でどういう理由で犯罪を犯したのかということについてはあまり興味がわきません。謎が解けても「ふーん、そうだったんだ」という程度でたいした感激も驚きもありません。なのに、おもしろい。


その「おもしろい」というのは、やはりホームズなのです。彼がひとりで完全におもしろいのです。シャーロック・ホームズという人の、このキャラクターの出来上がりには、わたしがこれまでに読んだことのある本の中でも群を抜いたものがあります。漫画でも映画でもない、小説の中でこれだけの人物像ができあがっていることには感嘆するばかりです。たとえば、バーのカウンターでギムレットを注文する(言わずと知れたフィリップ・マーロウ『ロング・グッドバイ』)とか、持ち金がゼロになるまで何もしない(好きな人は好き『ムーン・パレス』)とか、シャツにアイロンをかけるときは12の工程に分けていつも同じ順番でかけるようにする(きっと自分でも試してみた人がいるはず『ねじまき鳥クロニクル』)とか、そういうある特徴的な行動がキャラクターに付与されて(読者側にとっての)全体像を決定づける助けになるというのは、小説の効果としてよくわかるのですが、このホームズ君の場合はすべてが、あるいは全体的に特徴的で、小説においてそれが実現できているキャラクターはやはり希少ではないかと思うのです。


『バスカヴィル家の犬』でわたしが一番好きなシーンは、事件の重要参考人たる人物が棲家にしていると思われる石室でわれらが勇敢なるワトスン君がピストルを手に待ち伏せをしているところ、怪人物ではなく、ホームズその人が現れるシーンです。

「ワトスン君、夕やけが美しいね」聞きなれた声である。「そんな暗いところにいないで、出てきたまえ。外のほうがずっとはればれするよ」(193項)


ワトスン君の驚きと喜びと解放とが、一度に読者にも伝わってくるよいシーンだと思います。


<'09.3.15.BOOK OFF高田馬場北店にて>




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